1585年(安土桃山時代)千利休がお茶事の菓子として「フノヤキ」を供し、豊臣秀吉も食したといわれる(「南方録」)
1827年(文政10年)文献に「文字焼(もんじやき)」という言葉の初出。文字焼屋台は小麦粉に黒蜜を入れ、
それを銅板に垂らして文字や模様など好きなものを描く商売。職人が客のリクエスト
に応じて焼いてたものを売っていた(魚、亀、宝船や「寿」の文字など)。
江戸末期「文字焼」屋台が、客の求めに応じて職人が焼くだけではなく、タネを客に売って
客自身に自由に焼かせるようにもなる。子供相手の商売。(「北斎漫画」)
明治初期[駄菓子屋が「文字焼」をとり入れ、火鉢に焼板を載せ子供に文字焼を焼かせる商売を始める。
1885年(明治18年)[ヤマサ醤油]が国産初のウスターソース「新味醤油」(ミカドソース)を発売。
1889年(明治22年)茨城の[上菱醤油]が「鳩ソース」を発売。
明治30年代東京で洋食屋台が流行。
明治中期「文字焼」屋台が「流し焼」などの屋台に移行。
明治末~大正初期具材のバリエーションが増え、各地に波及する。
東京では大人が店舗でお好み焼を焼くようになる。
大正初期から中頃屋台に影響を受け、駄菓子屋では、キャベツ、干しエビ、スルメ、牛
肉といった具材が加わる。調味にもウスターソースを使うようになる。
大正期浅草の[橘屋]が客に文字焼を焼かせる。
大正半ば~昭和初期鉄板コナモンが全国に広がる。「一銭洋食」、「洋食焼」などと呼ばれる。
神戸だけが、東京風の「にくてん」の名前を継いだ。
1917年(大正6年)埼玉県春日部で[トキタ種苗]創業。
1919年(大正8年)[食品工業(株)(現キユーピー)]創業
1921年(大正10年)広島で屋台での一銭洋食の記録。
1922年(大正11年)[佐々木商店(現オタフクソース)]が酒、醤油類の卸小売業として創業。
1925年(大正14年)[食品工業(現キユーピー)]が国産初のマヨネーズ「キユーピーマヨネーズ」発売。
昭和初期神戸で店舗形式のにくてん屋が生まれる。
1933年(昭和8年)神戸・長田にて[水原]創業。現存最古のお好み焼(にくてん)店。創業時は神戸のにくてん街
(長田区の大正筋に接する横丁で、にくてん屋が6店並んでいた)でもっとも新しい店だった。
昭和10年代お好み焼店舗で、生地と具材を1つのカップに入れて提供し客が混ぜて焼く方式が出現。
1935年(昭和10年)この頃、広島で一銭洋食の店舗が生まれる。
1937年(昭和12年)東京・浅草で[浅草染太郎]創業。現存する東京最古のお好み焼屋。
1945年(昭和20年)大阪・道頓堀で[美津の]創業。焼け野原の戦後すぐ喫茶店から始まった。
母方の祖父が千日前でお好み焼屋[常磐]を再建。
大阪・千日前で[はつせ食堂]が開店。明治末に[はつせ旅館]として創業。
その後[千日前 はつせ]となる。
1946年(昭和21年)大阪・千日前にて[おかる]創業。
大阪・玉出にて[ぼてぢゅう]創業。[大阪ぼてぢゅう]、[ぼてぢゅうグループ]、[ぼてぢゅう総本家](廃業)の源流。
[本とん平]創業
1948年(昭和23年)大阪・梅田にて[美舟]創業。
[道満食品工業(現オリバーソース)]が世界初の濃厚ブラウンウスター
ソース「オリバーとんかつソース」を発売。
1993年(平成5年)神戸・福原にて[美丁(よしちょう)](1995年閉店)が創業。
1950年(昭和25年)大阪・天満にて[風月]創業。[鶴橋風月][布施風月][千林風月](現[風の街])の源流。
広島・中央通りにて[みっちゃん総本店]が屋台で創業。1965年に駅ビル
に店舗を構える。1968年に八丁堀に、1987年に現在地に移転。
この頃、広島・中央通りにお好み焼の屋台群が発生。お好み村のルーツ。
[佐々木商店(オタフクソースの前身)]、ソースの製造・販売を開始(「お多福ウスターソース」)。
昭和20年代後半広島・尾道にて[のぐち]創業。
1951年(昭和26年)東京・日本橋にて[松浪]創業。
1952年(昭和27年)[お多福造酢㈱(オタフクソースの前身)]が日本初のお好み焼専用ソース「お好みソース」を発売。
1954年(昭和29年)この頃、広島で中華麺をのせる現在のお好み焼のスタイルが完成。
1957年(昭和29年)広島・中央通りの屋台群が西新天地広場と東新天地広場に移り、50軒
近くの屋台が営業。 1965年には公園整備のために立ち退きとなる。
新天地の屋台はお好み村と駅ビルに分かれることになる。
1959年(昭和34年)[オリバーソース]が日本で初めてプラスチック(塩化ビニール)容器に充填したソースを発売。
昭和30年代後半大阪、神戸のガイドブックにお好み焼屋が登場。
1960年(昭和35年)大阪・生野にて[オモニ]創業。
1961年(昭和36年)大阪・生野にて[桃太郎]創業。2016年東成区新深江に移転。
大阪・天満にて[菊水](2009年7月閉店)創業。
昭和40年代お好み焼が大阪の名物として旅行ガイドに定着。
1965年(昭和40年)大阪・十三にて[ねぎ焼 やまもと]創業。1968年6月、賄いメニューであった「ねぎ焼」をメニューに加える。
[ぼてぢゅう]が東京・渋谷に出店。
1967年(昭和42年)広島で新天地「お好み村」が現在地にて復活。1990年11月に一時閉鎖。
1969年(昭和44年)[きじ]の初代がお好み焼店開業。
1970年代ホットプレートが登場。普及率は1980年代初頭に約30%、90年代初
頭では約70%、90年代半ばには約80%となる。
1973年(昭和48年)大阪・千日前にて[千房]創業。
1977年(昭和52年)大阪・富田林にて[大門お好み焼き道場]が開業。
1982年(昭和57年)[八ちゃん堂]が日本初の冷凍お好み焼を発売。
1985年(昭和60年)[日清フーズ]が家庭用お好み焼粉「日清 お好み焼粉」を発売。
1987年(昭和62年)[オタフクソース]が東京にお好み焼研修センターを開設
1992年(平成4年)広島で新天地プラザ(お好み村)完成。全店が[サンフーズ]のソースを使用。
1995年(平成7年)[オリバーソース]が家庭用「どろソース」を発売。
1996年(平成8年)[おやつカンパニー]が「ベビースターぐるぐるもんじゃ」を発売。
1997年(平成9年)大阪・日本橋にて[福太郎]創業。
2001年(平成13年)広島でお好み共和国ひろしま村開業。全店が[オタフクソース]のソースを使用。
2003年(平成15年)5月7日を「コナモンの日」と制定(日本コナモン協会)。
とん平焼きが居酒屋チェーンに採用(2003年[村さ来]、2005年[和民]など)され、全国的なメニューとなる。
2007年(平成19年)[九分九厘ざんまい屋]で「ミルフィーユとん平」発売。
2013年(平成25年)[オタフクソース]が中国(青島)、アメリカ(ロサンゼルス)に工場完成・稼働。
2015年(平成27年)大阪の店主らと開発した、「道頓堀だしマヨ」発売。第1回マヨ画コンクール開催。
2016年(平成28年)[オタフクソース]が合弁会社OTAFUKUSAUCE MALAYSIA
SDN.BHD.設立(マレーシア工場稼働)。
[トキタ種苗]でケール品種発表「グストイタリア カリーノケール」
2018年(平成30年)協会推薦「日清 お好み焼セット」発売
協会推薦「日清 チヂミセット」発売
2019年(平成31年)新年1月3日、4時間スペシャルの「ケンミンSHOW」冒頭で「大阪VS広島」のお好み焼紹介。
協会推薦「日清 やまもと監修 ねぎ焼きセット」発売
4月、熊本市平成駅周辺のコナモンレポートとして「熊本ちょぼ焼」、「ライス焼」を紹介(コナモン探検隊)。
ケールの洋食焼を[千陽]で発売
[でん]の呼びかけでコナモンサッカー大会「わなかカップ」開催
2020年(令和2年)7月、コナコナ祭がコロナ禍により、お店ごとの開催に
11月、月島ハートのもんじゃ大作戦開催
2021年(令和3年)3月、dancyu 2021年3月号でお好み焼サンド登場
4月、NHK「ほっと関西」で「ソース&コナモンの食文化は千年後まで継承」と会長熊谷コメント
5月、NHK「日本人のおなまえ」で、お好み焼の名称の由来について会長熊谷解説
大阪VS広島、お好み焼の完全レシピ紹介 YouTube配信
10月、阪神百貨店「食祭テラス」で「大阪VS広島お好み焼」開催
2022年(令和4年)お好み焼の食文化100年継承に向けて、鉄板会議大阪エリア会議開催
オタフクソース100周年
100年フード「大阪の鉄板粉モン」認定
7月末、阪神百貨店「食祭テラス」で「コナモンはテッパン」開催
10月4日、初の鉄板会議開催