vol.1:高井田系の中華そば
大阪電気軌道=広軌(現近鉄奈良線)と伊勢に向かう参宮急行電鉄=狭軌(現近鉄大阪線)が戦後合併したが軌道が違うためにその以前から「乗換駅」として布施駅前が発展し特に「広小路商店街」などは戦前からにぎやかな商店街だった。

1942年電気供給事業を関西配電(現在の関西電力)に譲渡されるが、戦後、1949年?ころ「関西配電」の隣りに裸電球が灯る「固定屋台?」では中華そばが美味しくて評判であった。これは「布施駅」の北側にあり、ストレートの超極太麺。多分「丸竹製麺」が作っていたと思われる。。

濃い醤油味の極太麺の中華そばは「無名?の固定屋台」の女性店主によって この地域に根付き始めたようだ。
「客席数は6席くらい?奥に厨房スペースがあった。」・・・当時を偲ぶ声をいくつか聞いた。 その後、この界隈の立ち退きなどで店は知らぬ間に無くなっている。

一方、1953年には「中華そば 光洋軒」が屋台を始めて、1955年には現在地の西に店舗を構えた。
戦後すぐから「アイスキャンディ」などのお菓子を売っていた「中華そば 住吉」が1956年には「中華そば」を始めて、いよいよ「高井田のラーメン」と評判になる歴史が始まっている。 1956年には布施駅付近が高架。1959年「伊勢湾台風」。と駅前は立ち退きや台風で浸水したりで駅前の整備は中々はかどらず、長い年月をかけて開発されていく事となる。
1961年には「中華そば 若松」が「中華そば 光洋軒」から独立している。

また、1964年?頃「無名の中華そば店」が無くなったあとにも「中華そば 高山」が駅前で評判となる。
1967年には布施市と河内市と枚岡市の三市が合併して「東大阪市」となる。
1970年には難波新線の開業で上本町から難波に伸びる。
1976年?頃「中華そば 高山」これまた立ち退きで四条通りの角に移転し「中華そば 番屋」と屋号変えている。息子さんが継いでいたが、義父の味には届かなく残念ながら閉店している。
2000年には「中華そば 麺屋」(のちの麺屋7.5hz)が開店するが、しばらくして「丸竹製麺」が廃業し、極太ストレート麺の仕入れが困難になる。しかも「丸竹製麺」からそのレシピを継いだと思われる製麺所は数少なかった。それは、「田中製麺所」であり、その後「ミネヤ食品工業梶vにも受け継がれている。 また「大一」「萱ト大號」「太陽製麺所梶vなどはお店の提案により独自に麺の開発に邁進して現状の製麺に携わっている。また、「中華そば 若松」は早い時期から自家製麺で独自の美味い麺を繋いでいる。これは、他に無いものとして特筆に値するだろう。そう言えば、すでに廃業した「中華そば 幸大」も最後は自家製麺だった。「高井田系の中華そば」は何度でも食べたくなる。何か共通する話題が潜在するのだろうか?「醤油」「鶏ガラ昆布スープ」「化学調味料」「固目の極太麺」何故か「チャーシュー麺の大」が一番美味いかも知れない。細切れのチャーシューの脂身をもっと入れてはどうかな? 塩分を少なくして旨味の脂身を上手く利用して「化学調味料」を少なくしたり・・・今後の楽しみが増えてくる。すでに「源さん」では「化学調味料」は全く使ってないようだ。